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掲載日:2021年2月26日

執筆担当:野口・東野

 途上国支援と障がい者支援の2つの軸で活動を展開する「NPO法人フェア・プラス」さん。今回は事務局長の河西さんと学生ボランティアの田村さんにお話を伺いました。

団体を設立したきっかけを教えてください

【河西さん】

 きっかけは2つあります。ひとつは商社時代の経験です。商社では政府間での大規模な取引に携わっていました。空港建設やダム建設により相手国が便利になり、発展していく一方で、その国の貧しい人たちには恩恵が届いていないことに気がつきました。その時、「自分のやっている仕事は貧しい人たちを苦しめているのでは?」と感じたのです。

 もうひとつは自分自身が「障がい者」となったことです。あるとき、心筋梗塞で倒れて障がい者手帳を持つことになりました。回復し、働こうと社会へ出てみると、想像以上に社会からの扱いが冷たかったんです。働く意欲や能力があるにも関わらず、「障がい者」というだけで社会の受け入れ方が全く違っていました。様々な要因で厳しい状況に置かれている点は途上国の人々も障がいのある人々も同じです。自分自身の体験から、両方が抱える問題を身近に感じ、支援する取り組みをはじめました。

現在に至るまでに嬉しかったことや大変だったことを教えてください

-----一番やりがいを感じたのはどのようなときですか?

【河西さん】

 アバカ製品の1つとしてクラッチバッグを完成させたときです。設立から数年間は、コースターやキーホルダーなどを製作・販売していました。より質の高い商品として考案したクラッチバッグは、これまでのものとはデザインも値段も全く異なります。壁にぶつかりながらの完成だったので、達成感がありました。雑誌に取り上げてもらったことをきっかけに、注目を浴びていきました。

 

-----反対に、大変だったことを教えてください

 コロナ禍の活動は特に大変でした。支援先のフィリピンでは2019年末の大型台風による被害に加え、コロナの感染拡大で村がロックダウンする事態となりました。日本でも百貨店や土産屋など、これまで関係を築いてきた取引先が閉店し、八方塞がりで非常に厳しかったです。田村さんをはじめ、学生ボランティアとも会えなくなってしまいました。

 

-----大変な状況をどう乗り越えましたか?

 フェア・プラスや村の苦しい状況を知り、寄付やクラウドファウンディングで支援をしてくれる人が大勢いたんです。村の人たちも、大変な状況ながら俯くことはありませんでした。この現状をなんとか乗り越えようとパワーに溢れていて、その姿勢を見て「落ち込んではいられないな」と前向きな気持ちになりました。

周囲や自分自身の変化について教えてください

【河西さん】

 設立当初は社会から全く認知されていませんでした。活動を続けていくうちに大学生と共同での商品開発や企業のノベルティ製作、京都伊勢丹でのスイーツ販売など、つながりや展開がどんどん広がっていきました。周囲の変化以外だと、学生ボランティアの成長や変化を日々感じています。

 

------(田村さんへ)フェア・プラスでの活動内容や、学んだことを教えてください

【田村さん】

 学生ボランティアは主に「ツキイチカフェ」の運営に関わっています。「ツキイチカフェ」はゲストのお話を聞き、意見交換を行う会です。大学では学べないお話を聞けるので、とても勉強になります。お話を聞き、考えて、自分に落とし込む。「ツキイチカフェ」の場が自分を知るきっかけや自己分析の時間になっています。

 また、私はもともと人前で話すことが苦手でした。活動を通して社会人の方とコミュニケーションを取るようになり、その経験が積み重なってうまく話せるようになってきたと思います。これからも自分の力を伸ばしていきたいです。

現在の活動への想いを教えてください

【河西さん】

 2019年までは順調に活動を展開していました。村の人たちも徐々に頼ってくれるようになり、嬉しかったです。しかし、このままフェア・プラスに頼り続けるのではなく、村だけで自立し安定させていく必要があると危機感を抱いていました。そう思っていた矢先、新型コロナウイルス感染症が蔓延し、支援が止まってしまったのです。

 

 2020年は助成金や寄付金で何とか乗り切ったものの、社会が元どおりになるまでは2〜3年程度かかると予想しています。社会や暮らしの変化に合わせてどう展開を作っていくかが現在の課題です。フェア・プラス自体の存続とマリナオ村の自立に向けた支援と。後ろ向きな気持ちでただ耐え忍ぶのではなく、新しい形を模索しながら進んでいきたいです。

学生ボランティアへはどのようなことを期待していますか?

【河西さん】

 社会に貢献してほしいと同時に、社会全体のことを学び、成長してほしいです。大学内だけではどうしても関わる人が限定されますが、ボランティアの場では世代を超えたつながりがあります。フェア・プラスで活動している学生ボランティアは大人と関わる機会が非常に多く、ときには参加者の方から怒られることもあります(笑)そうして指導してもらいながら、徐々に成長しています。学生同士でも学び合い、刺激し合っているのではないでしょうか。

どんな学生時代を過ごしていましたか?これまでの経歴も教えてください

【河西さん】

 学生時代は遊んでばかりいました。自分のやりたいことを見つめ直したときに、宇宙開発に携わりたいと考え、宇宙工学の道に進んだのです。

 卒業後は、仕事漬けの毎日を送っていました。1995年、阪神淡路大震災が発生したときも、仕事が忙しいことを言い訳になにも行動せず、そのことに後ろめたさを感じていました。転勤で大阪に来てから震災時の話題に触れる機会が多くなり、当時の気持ちを思い出したのです。そして社会のために役に立ちたいと思い、ボランティアやNPOの活動に関わるようになりました。

------ボランティアやNPOの活動に参加してみていかがでしたか?

 ボランティアの世界は縦社会の企業とは異なり、年代も性別も関係なく、フラットな付き合いができました。活動方針や内容が決まるまでに時間はかかるものの、全員が合意したものはみんなで確実に進めていきます。衝撃的だったと同時におもしろさや心地よさを感じ、私自身も運営として関わってみたいと思ったんです。その後、思い切って退職し、NPOで働くことを決めました。

 60歳のときに、これからの人生について考えたんです。今後何があるかはわからないからやりたいことをやろう、そう決意してフェア・プラスを立ち上げました。

今後の展望や個人的な目標を教えてください!

【河西さん】

 先に話した通り、マリナオ村の自立と団体の存続が大きな目標です。

 最近はフェア・プラスをつないでいきたい思いがあり、後継者について考えるようになりました。つなぐといっても、私のやってきたそのままのやり方を受け継ぐのでありません。バトンを受け取ってくれる人が、時代やその人の色、スタイルに合った形で運営してもらえたらと考えています。

インタビューを行った学生の感想&メッセージ

【野口さん】

 コロナが与えたダメージは、マリナオ村、そしてフェア・プラスともに大きかったのだと感じました。イベントも対面からオンラインへと変更になり、これからのボランティアはより柔軟性が求められます。取材を通して河西さんの人柄の良さを強く感じました。多くの協力者が集まるのは、河西さんが人との出会いを大切にされているからだと思います。河西さんとお話し、人とのつながりの大切さを再確認することができました。

【東野さん】

 途上国の人たちや障がいのある人たちを取り巻く現状や課題をより多くの人に知ってもらい、理解を深めてほしいという想いを感じました。想いが伝わることで「私も力になりたい」「活動を応援したい」と多くの人の気持ちを動かしているのではないかと思います。フェア・プラスさんの取り組みは、たくさんの人と人を繋げ、一人ひとりが生きたいように生きることができる社会を作るきっかけになると思いました。

今回インタビューを行った団体

団体名:NPO法人フェア・プラス

所在地:〒600-8441 京都市下京区四条通新町東入ル月鉾町52 イヌイ四条ビル Flag四条303

HP:http://fairplus.org

SNS:https://www.facebook.com/npo.fairplus

 

[団体の理念・活動概要]

 発展途上国の貧しい人たちや日本の障がい者の人たちへの、ものづくりを通じた支援に取り組んでいます。デザイナーの協力で、フィリピンの山村の人たちが村の伝統を生かし日本で高く評価される製品を作り、また日本の障がい者の人たちが外国人観光客向けの京都の伝統生かした製品を作ることにより、正当な収入を得て、誇りを持って働いて頂いています。